様々な議論や物事の話、概念の話をする場合。
A=Bであるという話をされた時、自分で話をする時、
出来るだけA=BだけどA=C(orA=D,E,...)もあるのでは無いか?
と考える様にしている。

例えば誰かが
『愛とは不変なモノだけを指し示す。それ以外は愛とは呼べない』
という仮説を主張したら、
『じゃぁ不変なモノ以外はなんなんだろう?』
『不変なモノ以外の中に愛と呼べるものは無いのかな?』
『不変な愛の中に、愛と呼べないものは混ざらないのか?』
とか考えてぶつけてみたくなる。
そう、特に誰かが"主張"をしているのを見てると、その主張は
その1方向性だけが全てなのかな?と考えたくなる性分。

色々な事で別の側面、別の可能性を頑張って考え出して
それによって新たな可能性や意見、より練磨された意見を
作り出せれば良いなと思う。

様々な人間各々の背景や思想思考が単一ではない以上、各々の
考える物事の"正解"なんていうモノは大体の場合ひとつじゃない と、
自分ひとりの中での正解を決める場合と異なり、多数での行動や
見解においての正解を決めようとする場合は、様々な方向性から
物事を見て様々な意見をすり合わせないと本当の意味での正解には
たどり着けないと考える。

表があると云う事はそれが表である為の幾つかのファクターがあると、
Aを考えるにはA´やA"の存在も考えて行きたいとか思うし、Aの存在
を別の方向から色々眺めて、より良い意見を観点を出せれば良い。
万事二面性であり多面性であると考え続けたい。
 

我侭ですので、人の意見を素直に聞き取り入れる事も考え続けない
といけないのも承知しておりますが、相手が何かを正解と思っている
時に、それって本当に正解なの?とぶつけて聞き正したく、
君の正解と私の正解は同じとでも?と言いたくなるのは
良く難儀な事態をも産む気もします。

コメント

ひんで
ひんで
2007年1月9日23:39

こんばんわ。ご無沙汰しております。ひんでです。
さて、2面性は確かにあるものと思います。
しかしながら、所詮、人は群れるもの。
どうしても周りの意見に合わせてしまう。
もしくは、同じだと思い込んでしまう。

私は、いろんな意見があるから面白い。←人付き合いがね。
そう考えるようになったのは、高校3年生でした・・・。(オソw

駄文失礼しました。

nophoto
2007年1月10日6:34

こっちにリンク貼ったのね!わー(≧∇≦)

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